「欲が孕んで罪を生み罪が塾すると死を生む」と聖書は語っています(ヤコブ書I章15節)が、最初の殺人者カインの人生を見てみましょう。アベルは主に群れの初子と肥えたものを主に供え、アベルも地の産物を主に供えたのですが、どうもカインはアベルのように良い物を献げなかつたようです。故に主にその供え物は受け入れられませんでした。そこにカインの欲、主への供え物を惜しむ心、主を蔑ろにする生き方が見えてきます。
主に供え物を受け入れられなかったカインは怒ります。そして主に
「罪が門口で待ち伏せしあなたを慕い求めてるが、あなたはそれを治めなければならない」
と言われます。しかしカインはその言葉を意に介せず、怒りに任せて突き進みます。そしてアベルを殺してしまうのです。そして主からカインが耕しても実を結ばす放浪者とさせられてしまいました。
私たちは魂を守らなければなりません。怒っても罪を犯さないように治めなければならないのです。これは意思の問題です。意思は感性と知性の影響を受けます。感性は怒りなどです。他方知性の代表的なものは神の言葉です。神の言葉を多く魂に蓄えているなら「汝殺すなかれ」と意思に赤信号のシグナルを強く送るでしよう。それが感性の怒りよりも強ければ意思も怒りを抑え罪を犯さないようにするのです。しかし神の言葉が魂に蓄えてないなら意思に罪を制止せよとのシグナルも弱く力無くなり、感性の怒りの方が勝って殺せと言う意思決定になるのです。
私たちはいつも正しく神の御心の意思決定をする為に神の言葉を多く魂に蓄えなければいけないのです。
加えて主に、日々私たちを試みに遭わせず悪より救い出してくださいと謙遜に祈っていくべきなのです。