フィリピン・ミンダナオのミッションの国際理事長を20年勤める

 ミッション・あどない・いるえ は1995年にダバオ湾に浮かぶサマル島のキャリクリックに1haのとうもろこし畑を購入し、財団法人を設立登記しました。

 翌1996年6月にあどない・いるえチルドレンホームとあどない・いるえ聖書学校を開校しました。地元の教役者たちを支援しつつ教会形成も始めました。

 私、藤は資金があった訳ではなく、なき義父は主のために使うようにと100万円を献げてくれたお金だけしかありませんでした。その100万円は土地購入代と財団法人の設立費用に使ったので後はお祈りし、日本中の教会を回ってミンダナオの働きのための祈りを依頼しながら演奏と聖書のメッセージを限りなく行っていきました。

 私の肩書が国際理事長となっているのは経済的な責任を負わされていたということなのです。日々の孤児たち、ハウスマザーたち、聖書学校の学生たち、スタッフたちの食費代、代表牧師や聖書学校の教師、スタッフたちの給料、孤児院の建物や聖書学校の建物などの建築工事に使う材料代や人件費、井戸がなかったので水牛の車で毎日水を村の井戸で購入する費用、電気もなかったので発電機購入代など、現地代表牧師から頻繁に必要な金額を求める連絡が来ました。それを賄うために多い時は年間250回もの教会を回って演奏とメッセージを行なっていました。

 私のこの働きの主にあるパートナー牧師夫妻が天に召され後継者の娘さんが孤児院の子らを一人残らず親族に送り返したことで、私は主がこの働きを閉じられたと悟りました。その後は主が導かれたパキスタンの孤児や青空学級の支援を始めています。

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