ドイツ人のジョージミューラーは当初はユダヤ人伝道を夢みて日に10時間もヘブル語を熱心に学び、ラビの使う言葉でさえ自由に話せることができました。しかし、神はその道を閉ざされ、彼はイギリスのブリストルで孤児を世話する働きを始めるのでした。
やがて孤児の父である神さまのみに信頼して孤児院を始め、遂にブリストル市のアシュリーダウに広大な土地を与えられ、一棟は石作りの3階建長さ200mもあろうかと思われる建物5棟を建てたのです。しかも其々にはラグビー場ほどの運動場付きです。
私たち家族は私の聖契神学校の卒業式を不意にして、ドイツのマリア福音姉妹会とボーデルシュビングガ始めたビューレフェルトの癲癇のコミュニティ村と併せて、見学に行きました。
忘れもしないことは、ジョージ・ミューラーの仕事も進行も引き継がれて今でもブリストル市で最も尊敬されている福祉事業を行なっているのです。そして、その理事会の祈祷会はかつてジョージ・ミューラーが神だけに全ての必要を祈るとした指針を受け継いで、今日でも全ての経済的必要の課題はその理事達の祈り会だけで行われているのです。私たちもその理事会の祈祷会に出席しましたが、経済的必要の課題は語られませんでした。