ルーマニアに聖書と医療品等を大量に届け、70名の洗礼式に5000人が集まり私たちも賛美をし、200名程がキリストを信じました

 

 1989年のクリスマス独裁者チャウシェシュク大統領が殺され、ルーマニアは自由を取り戻しました。その翌年1990年に私と妻はイリエ・コロアマ師と共にスイスからトラック3台に大量の聖書とチョコレート、医薬品を積んでルーマニアに向かいました。

 大統領が私腹を肥やしていたので国は酷い状況でした。建築途中で資材が手に入らなかった故かてっこつが錆びまくっている工事現場が多くありました。ガソリンもなく2日もスタンドに並んでいる光景を多く見ました。馬車がかなり走っていました。途中、子供がいたらトラクトを輪ゴムで巻いたチョコレートを車窓から投げてあげました。

 

 ヴィストリチチャの街で70人の人が洗礼受けるので、教会から大きな川まで教会のブラスバンドと共に大勢の信徒と共に街中を歩いて行進しました。川に着くとそこには5000人程の人が両川岸、橋の上、土手に溢れて待っていました。私達のオカリナとオートハープと妻の声楽・ソプラノの賛美のあとイリエ・コロアマ師が説教をし、200人程がキリストを信じる決心をしました。

 トラックから聖書やチョコレートや衣類などを配りました。ある年輩の男性は聖書を貰いました。彼は「他の物は要らない、神の言葉である聖書だけが欲しい」と大きな声で叫んでいたそうです。彼はもらった聖書に頬擦りしてずっと泣いていました。神の言葉の飢饉があったのです。いつか日本にも来るかもしれません。

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